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筍一本ちょうだいな

 朝、キッチンに筍がゴロンと横たわっていました。四男がバイト先のお客様から頂いたんだ、とのこと。その日に限った事ではないのですが、私はバイトから帰る四男を待たずに寝てしまいます。なかなかドラマの中のお母さんのようにはいきません。
 一分でも早く!と、早速下拵えをしますと、掘り立てだけあって、すぐに柔らかくなりました。「あー、その気持ち悪いの『糠』だったのかー」と四男。鍋で冷ましている間の筍は、確かに不細工です。大鍋に皮がデロンとなっていて糠がブクブクしていますから。
 四男が出かける支度をしながら、そのお客様との会話を教えてくれました。彼から見たら自分の祖父と同年代の方です。
 竹の皮はおにぎりを包んだり、昔は今のようなオヤツがなかったので、竹の皮に梅干しを挟んでそれを舐めた話とか。実は筍を渡す時、君のお母さんが下拵えできるだろうか、と心配されていたそうです。
「俺さ、思ったんだけど、俺が爺ちゃんになった時、そんな風に若者に話してあげることって何も無い気がしてさ。なんかさ、それってある意味つまらない事だよね。そのお客様はさ、筍一本からいろんな話ができるんだよ。凄い事だよね」と四男。本当にね、凄い事だよね、と私も頷くばかり。
 ただ、まぁ、おにぎりはアルミ箔やラップでくるんでいたし、竹の皮に梅干しってヤツを経験させなかったのは私の責任でもあるのです。なぜなら竹の皮、売っているけど高いから(笑)
 そうなんです。竹の皮を干した事もありましたが、続く失敗に萎えてやらなくなり、部活だの試合だののたびのおにぎりは、コスト優先でアルミ箔などになりました。
 四男には、君がお爺ちゃんになるまでには、きっといろんな経験をするから、若者に話してあげる事もあるんじゃないかな、ただし若い頃の自慢話は御法度だよね、と言いましたが、ここだけの話困ってます。
 私自身が、そのお客様のように若者に話せる事が何も無いのです。恥ずかしながら自慢話すら無いと言う事実。
 次の世代に、或いは更にその下の世代に、何を語れば良いのでしょうね。阿弥陀さまにお訊ねしてみようかしら。
 筍一本ちょうだいな、まだ芽が出ないよ…。

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