骨を豊かに

 母はかかりつけ医で、定期的に採血や心電図もとってもらいます。
 主治医が前回の採血結果を前に造血機能が落ちてきていて貧血が進んでいると仰いました。もう食事で気をつけるレベルではないとの事で、暫くはお薬に頼ろうとなりました。加齢により血液が作られにくくなってきているそうなのです。
 私は母のお腹の中で沢山の血液と愛情を貰ったわけですから、今、育ち過ぎて太めになった血肉を母に分けてあげられればどんなにいいか!と言いましたが、そんなうまい具合にはいかないよ、と先生にも笑われました。
 血液が身体のどこで作られるか、というと、骨の中の『骨髄』という場所です。脳が硬い頭蓋骨で守られているように、骨髄も骨で守られているのです。
 そして、これもまた生命の神秘なのですが、赤ちゃんの血液は、なんとすべての骨の骨髄で作られているのです。ですが、大人になると胸骨、脊椎(せきつい)、肋骨、骨盤などの限られた場所でしか作られなくなるのです。母とそんな話を車でしながら帰りました。
 その夜、久しぶりの友人が、所用で母校を訪れた知らせがありました。友人は体育大学出身です。門の前で撮った写真を見てハッとしました。体育の『体』の字が『體』となっていました。今の今まで考えてもみませんでしたが、『体』の旧字体は『體』です。母の貧血を食事ではどうにもできなくなりショックを受けていた私に飛び込んできた『體』の字です。
 思えば私自身も今年初めて、骨粗鬆症の検査を受けました。結果は平均値をかなり上回る結果でしたが(骨だけは20代?)、たった一瞬で終わる検査も子どもを四人も産んでますから踏絵の気分で嫌でした。
 骨を豊かに保つ事は決して当たり前ではないような気がしてきています。
 そして、更に難しいのは仏法を背骨にしていく事です。それは決して当たり前ではなく、たくさんのたくさんの縁が備わらなければ、なかなか背骨にはできないのです。
 ましてや、寺の者がきちんと背骨にしていなければ、血が通ったお寺になるわけはないよなぁ、と、改めて出遭った『體』の字を前にいろいろな思いを巡らせています。

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