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花まつりを終えて

 花まつりの翌日、風もなく穏やかな快晴でしたから、母を散歩に誘いました。いつも近くを歩こうと言ってもなかなか腰を上げませんから、ちょっとドライブしようと誘います。本当に『ちょっと』です。
 3月末に毎年恒例のお花見ドライブは済ませましたから、母が歩きたくなるような近くの緑地公園へ。ソメイヨシノはもう殆ど葉桜でしたが、白い桜や枝垂れ桜が、それはそれは見事でした。そこは季節毎に沢山の花が咲きますから、散策をしていても楽しいのです。今度はこの花が咲いたらまた散歩に連れ出そうと目論みながら『ちょっと』歩きました。
 帰りに母の好きな和菓子屋さんに寄ろうね、と話していました。諸般の事情からいつもいつもその和菓子屋さんでは買えません(笑)。母や子ども達にご褒美的に年に何度か。母は食べたい和菓子を挙げつらね、私は家にいる四男が好きなお団子を思い浮かべていました。ところが、どうやら和菓子屋さんは閉店した様子です。定休日のふうではないのです。
 帰ってきてから調べましたら、新型コロナウィルス禍は関係なく昨秋の閉店でした。
 その道は、和菓子屋さん閉店から何度も通っていました。緑地公園まで一本道なので、公園まで散策すれば嫌でも往復するのです。閉店から半年も、私は気付かないまま通り過ぎていました。
 秋の紅葉の時期に通った時、やはり閉まっていて、定休日かー、残念だね、と、母に言った事を思い出しました。それ以外は、そこにあると言う認識だけで、風景に溶け込まれ、きちんと見ていなかったのです。
 花御堂を片付けながら、八正道の中でも『正見』は本当に難しいな、と思いました。
 正見とは、「物事を正しく見る」「真実をありのままの姿で見る」ということです。お釈迦さまは正見を最も大切な教えの一つと仰いました。
 見間違う事や見落とす事がなくても、見下したり見比べたりしなくても、ただ『見る』という事がこんなに難しいとはなぁ。私自身のものの見方など、あてにはならんなぁ、と、苦笑いで終わった花まつりです。
 さて、この『私』は何を『あて』にすればよいでしょうか。

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