かの土へはまいるべきなり
何年か前のことですが「今後、お寺からの案内は要りません」と、唐突に連絡されてきた方がありました。遠方に引越しされる様子でもないので、理由を尋ねると「合葬墓」を買ったため、と言われました。
「葬儀不要」「法名(戒名)不要」「法事不要」が気に入ったようです。自分が亡くなった後に残された子供に迷惑をかけないことを気にかけていたようです。
それぞれの考えがありますので、否定はできませんが、今日まで仏教徒としてまた真宗門徒として仏法を聴聞してきたことはどうだったのかを思うとき、仏法を伝える側の私自身の至らなさを痛感せざるを得ない出来事でした。
さて、今年は年頭からコロナのことばかりで、日を追うごとに感染の恐怖が日本を覆いつくしています。
縁の方にはこの感染症で亡くなった人はいませんが、もし、感染して命を落としたとすると、一刻でも早く火葬しなければなりません。家族も死に目に会うことも出来ず、火葬場の立ち合いも出来ません。後日、葬儀を行うことは出来ますが、実際にはどうしているのかわかりません。
もし、自分や家族がこのような事態に遭遇したら、「葬儀をする必要もなくて良かった」と本当に思えるでしょうか。
葬儀は今まで多くの方に支えられて来たことへの感謝の場であり、家族はその尊い一生に感謝する場でもあるのです。
「なごりおしくおもえども、娑婆の縁つきて、ちからなくしておわるときに、かの土へはまいるべきなり」
『歎異抄』第九条
生きている間は、いつまでも元気で過ごしていたい、と誰でも願うことです。また、お墓のこともお葬式のことも気になるでしょう。
しかし、大切なことは「かの土(お浄土)へはまいるべきなり」ことをしっかりと聞き開いて、浄土に生まれることによろこびのある毎日が送れることこそが真宗門徒としての姿なのです。
いま、しっかり聞かせていただきましょう。