10の220乗
暗い話題の多い中で、久しぶりに晴々とした気分を味わった方も多かったと思います。将棋の藤井聡太七段が棋聖のタイトルを最年少で手にした、というニュースです。
プロデビューからの連勝記録や昇段など様々な話題に事欠きませんでしたが、その飛躍のスピードに驚くだけでなく、歴史に名を刻む偉業に畏敬の念さえわいてきます。
さて、将棋の起源が古代インドであることをご存じである方は少ないのではないでしょうか。チャトランガというボードゲームがその源流でチェスもこの流れにあるといいます。元来は娯楽のためであったわけですが、それを生業にする人がいることで、凡人には到達できない境地を開拓する世界が生まれるのだと思います。
ところで、近年の人口知能の発達で棋士の能力を上回るAⅠ棋士が生まれるのではないか、という話題は尽きません。そうなれば、対局中に見せる苦悩の表情もなくなり、ただ勝敗だけが積み上がっていくのですから、私たちの興味も薄らいでしまうでしょう。
このことは、私たち僧侶にも言えることかもしれません。仏前に機械的な読経の音声が流れても仏徳讃嘆にはなりません。
みなさんから見ると同じようにお経をあげているように映るかもしれませんが、亡き方の生前中を想い、浄土に生まれてからは縁ある方に「お念仏をよろこぶ身となってください」という願いを伴っているのです。
今、コロナ感染で人と人が寄添うのが一番良くない、ということが新常識になっています。
しかし、寄添ってきたことで大切に育てられたこともたくさんあることを忘れてはいけません。
将棋は一回の対局で10の220乗の駒の動かし方があるそうです。
古代インドの源流が深遠なる世界を醸し出しているのでしょうか。その深遠の世界から人の手によって導き出される妙手を楽しみにしたいと思います。