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真実を伝え残す

 親鸞聖人が今の茨城県稲田という場所に庵を結んで20年余り布教され、多くの人々にお念仏の教えを弘められたことはご承知の通りです。聖人のご苦労によってお念仏の教えを信順する門弟が関東各地に広がりその門弟がまた、それぞれの在所で親鸞聖人の教えを伝えました。性信房を中心とする横曽根門徒、順信房を中心とする鹿島門徒、真仏房を中心とする高田門徒というように広がって、名前の残っている門弟は70人を超えていますので、念仏のお同行は十万人超えるほどまでになっていたといわれています。
 しかし、それぞれの場所ではそれまでの土着的信仰が存在していましたのですべてが「お念仏の救い」一色にはならなかったのではないか、という見解もあります。
 この地で山伏として加持祈祷やまじないなどを生業としていた弁円が後に親鸞聖人のお弟子となって明法房と名をいただき、お念仏とともに後世を生き抜かれた話は有名です。そのような逸話があると当地からは加持祈祷やまじないが無くなり念仏の声ばかりになったように感じますが、世の人々は加持祈祷と念仏を融合させた生活をしていたのではないでしょうか。それぞれにある良いとこ取りをしても仕方のないことだったのかもしれません。
 親鸞聖人は60歳頃(63歳頃という説もある)に関東から京都にお帰りになります。
 以前にもこのことは考察いたしましたがその理由は判然としないままです。
 しかし、帰洛後に精力的に著作に取り組まれたことは確かです。
 私の学生時代の恩師は「親鸞聖人が残した著作は高性能の冷蔵庫みたいなものですね。時代を超えてもいつでもそのままを取り出すことが出来るからね」と話されていたことを思い出します。
 親鸞聖人が著された『教行信証』を柱とする数々の著作には、その時には充分に伝えきれていない門弟たちにも、また時代を超えての人たちにも真実を伝え残すことが大切であると選ばれ進まれた聖人のお心が込められていたのだと思うばかりです。

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