すべてお念仏のなかに
まだまだ制限はありますが、ようやくマスクを外して法話ができるようになりました。
法話は声で仏法を伝える訳ですが、表情や身振りも大切です。能面のように全く無表情で話すことはできません。その意味でマスク越しでの法話は辛いものがありました。
さて、法話を聞かれた方から様々な感想が寄せられます。
まず、「今日は大変良いお話をありがとうございました」というものです。「何が良かったのだろう」と考えてしまいます。きっと、その方が考えていることと合致したのでしょう。一番多い感想でしょうか。
次に「本日は誠に有難いお話を伺いました」というものです。日頃は聞く機会のない仏さまのお話しを尊く思いました、ということですから及第点の感想でしょう。
最後に「本日は大変厳しいお話を伺いました」と神妙な顔付きの方は「まさにそれは私自身のことなのだ」と仏法を受け取られた言葉なのでした。そのように聞くことが出来る方は稀です。
では、浄土真宗の法話は何が語られているのでしょう。その内容は様々ですが、肝要は南無阿弥陀仏のお念仏のお心に帰っていくのです。
お釈迦様の教説は一切経に示されています。その一切経のなかで浄土三部経が選ばれ、さらに親鸞聖人は大無量寿経に私たちを救う道があると示されました。
それはすなわち第十八願によってこそ救われると教示され、お念仏のなかに私を救うすべてがあったのだ、と示されたのでした。
昔、ある和上さんがお寺のお説教に招かれました。 高名な和上さんからどのようなお話が聞けるかと皆楽しみにしていました。
いよいよ、和上さんがお出ましになり演台に立つと「南無阿弥陀仏」と十篇称えて下がってしまいました。お参りの皆さんはさぞ驚かれたことでしょう。
和上さんの中では一切経も浄土三部も大無量寿経も第十八願も味わい尽くしての「南無阿弥陀仏」だったのでした。
そこまでの味わいを法話で伝えることができるようこれからも精進したいと思います。