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帰るをよろこぶ

 猛暑の夏となりましたが、今年は三年ぶりに行動規制のないなかで郷里に向かう車が高速道路に長い列をつくりました。
 先日、この帰省のことで門徒さんとお話ししました。それは「今年は帰省しないのですか」という私の問いかけから始まりました。十年程前にご両親ともに亡くなられてからは法事に帰るぐらいになってしまったこと、お盆に併せて同窓会が行われることもあったがそれも最近は途絶えてしまったことなどの話を伺いました。
 親が生きているときは「実家」に帰ることが楽しみだったそうです。それが兄夫婦の代になると遠慮もあって足が遠くなりました、ということもわかる気がします。さらに同窓会のことになると「出られる人と出られない人」がいるというのです。家族円満、仕事順調、子供自慢、孫自慢ができるひとは喜んで出席しますが、少しでも聞かれたくないことがあるひとは出席をためらうのだそうです。古い友人たちが私を待っていてくれるのは有難いですが喜ばす「お土産ばなし」がないと「行かなければならない」気持ちになってしまいます。
 言われてみると誠にその通りだと納得しました。さらにコロナの蔓延で疎遠があたりまえのようになってしまいましたね、と残念そうに嘆かれていました。
 さて、「郷里に帰る」は親がこの私が帰ることを心から待っていてくれているので「帰る」ことができるのです。兄弟も待っていてくれますが親と同じような気持ちとは少し違います。「郷里に帰る」と「郷里に行く」には大きな違いがあるのです。
 私たちは阿弥陀さまから「こころから浄土にうまれたいと願ってほしい」と願われています。ですから娑婆世界の一日一日は浄土に帰る帰省の道程なのです。
 阿弥陀さまが待っている郷里に帰ることを楽しみにしたいと思います。

十方微塵 世界の
 念仏の衆生をみそなはし
 摂取してすてざれば
 阿弥陀となづけたてまつる

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