あなかしこ
1992年(平成4年)3月に教念寺新報は創刊されました。教念寺がこの地にお念仏の道場を開いてから3年後のことです。
お寺に来て法話を聞くことの出来ない方や体調を崩して外出が叶わない方にも仏さまのお話しをお届けしたいとの思いからスタートすることになりました。
2020年(令和2年)は世の中を一変させる年となりました。世界中がコロナ感染の渦中となったのです。教念寺においても、行事の見直しや変更を余儀なくされました。
浄土真宗の根幹である法座活動は多くの方が集い、語らい、仏法を聴聞することですが、これらすべてが否定されることになったことは痛恨の極みと言うべき事態でした。毎月16日の親鸞聖人の月命日を縁として定例法話会を行って来ましたが中止しなければならないこともありました。
しかし、開始時間になると数人の門徒さんがお参りに来てくださいました。一緒に正信偈のおつとめをして、ご法話もさせていただきました。このように、中止のご案内をしても実際は中止することがなかったことは大きな喜びでした。お寺はご門徒さんによって育てられていると実感しました。
また、教念寺新報はそれまでと変わらず発行することが出来ましたことは有難いことでした。今の時代ではアナログ感の強い、紙に活字を印刷されたものが活躍しました。
さて、昨年春には本山で、また本年は築地本願寺にて親鸞聖人御誕生850年慶讃法要が勤められました。
今の時代においても親鸞聖人をお祝いされる方が多くいるということは、聖人がお説きくださった教えが今も受け継がれていることでもあります。 今日の私たちの生活スタイルはその時代とは全く違ったものになっていますが、教えの本質を受け止める姿は変化していないということです。
この法要におつとめする新たな法要作法として、『新制 御本典作法』が制定されました。
宗祖親鸞聖人によってお念仏のみ教えの真の意味をお示しいただいた『教行信証』(御本典)からすべて御文を選定し、伝統的な声明と大衆唱和の両面を兼ね備えたものとなっています。
さて、この親鸞聖人の教えの大切さを誰よりも強く感じて多くの方々にみ教えを伝えることに腐心したのが蓮如上人でした。
親鸞聖人から200年ほど後、室町時代に出られた方です。この200年間は本願寺には参詣者も少なく、経済的にも汲々としていたようです。
後に本願寺の熱心な門徒となる近江高田の法住は、「人跡たえて、参詣の人一人もみえさせたまわず、さびさびとしておわします」と、『本福寺旧記』に当時の様子を伝えています。
蓮如上人が8代目のご門主になられてからも苦難が続きます。戦乱続く世であり、様々な理由から本願寺が福井吉崎に移りました。
この時期にそれまでのおつとめの形態を改めて「正信偈」と「和讃」を併せておつとめする形を制定され、門徒にも日々正信偈のおつとめをするよう勧めました。
以前、こちらに訪ねて来られた方が「ここはキミョウムリョウジュノライ(帰命無量寿如来)のお寺ですか」と聞かれました。北陸出身というその方は子供のころ、毎朝、おじいさんが家族全員でお仏壇にお参りすることが苦痛でした、と話されました。
しかし、自分自身がそのおじいさんの歳になって懐かしい思いでお寺を訪ねて来たそうです。
その方は蓮如上人が500年前に制定したことで広く永く正信偈がとなえ続けられたことは知らなかったと思います。大切なことは何故おじいさんが仏さまを大切にされていたのか、ということに気付くことに他なりません。
さて、この吉崎時代以降に蓮如上人は御縁のある方々に活発にお手紙を出されました。今日「御文章」といわれるものです。今も200通以上が残されています。正信偈とともにこの御文章も多くの方の記憶をとどめられていると思います。「聖人一流の御勧化の趣は、信心をもって本とせられ候」(親鸞聖人の流れをいただく浄土真宗の教えは、信心が要です)
簡潔にして親鸞聖人の教えの肝要を示しています。
そしてお手紙の最後には「あなかしこ」と結ばれています。これは、仏さまのおはたらきを感謝するお言葉で、「もったいないことです」という意味です。
小誌が350号を迎えることが出来ましたこと心より感謝申し上げます。
「あなかしこ あなかしこ」
※教念寺新報350号記念巻頭法話