苦しみを転ずる
お釈迦さま滅後に多くのお弟子が集まってその記憶に残されたお説法を文字として紡いでいただきましたものがお経典です。
そのお経典が長い時代に渡って中国で漢訳されました。今の時代はAI技術を駆使することが可能ですが、当時は想像を絶する苦労があったでしょう。
翻訳とは単に文字や言語を変換するのではなく違う文化を融合することが求められるのですから容易ではありません。
さて、お釈迦さまが初転法輪においてお説法されたのが四苦八苦でした。お釈迦さまが悟りを開かれて初めて仏教の教義を人びとに説かれたのが初転法輪です。
四苦とは今日の私たちにとっても苦しみの根源となる「生」「老」「病」「死」です。
この「苦」をサンスクリット語では「ドゥッカ」と示されていました。「自分の思い通りにならないこと」という意味です。この娑婆世界を生きる私たちは「自分の思い通りにならないこと」ばかりではないでしょうか。
さらに、私たちの一生で出遭うことが避けられない苦しみが「愛別離苦」です。愛しい人とも死をもって別れていく惜別の苦しみです。
さて、親鸞聖人三十五歳のとき、「承元の法難」といわれた弾圧事件が起こりました。この法難により法然聖人は土佐へ、親鸞聖人は越後へと赴くこととなったのです。この悲しい別れに際して法然聖人に歌を送られました。
会者定離 ありとはかねて聞きしかど
昨日今日とは 思わざりけり
(出会った者とは別れていくことが世の定めでありますが、それが今であったとは思いもしませんでした)
そして、法然聖人から返された歌が
別れ路の さのみ嘆くな法の友
また遇う国の ありと思えば
(この世での別れを嘆くことはないぞ。阿弥陀さまのお慈悲を頂く私たちは、又お浄土で出会わせて頂く世界があるのだから)
このおこころに支えられて親鸞聖人は法然聖人と別れたのち、お念仏によって苦しみを転ずる道を歩まれ、その道がお浄土に通じていることを誰よりも喜ばれたのでした。