真宗の肝要
親鸞聖人のご遺徳を偲び感謝させていただく報恩講が全国の浄土真宗寺院で営まれます。
この報恩講について蓮如上人の御文章に
そもそも、今日は鸞聖人(親鸞)の御命日として、かならず報恩謝徳のこころざしをはこばざる人、これすくなし。(略)今日にかぎりてあながちに出仕をいたし、この講中の座敷をふさぐをもつて真宗の肝要とばかりおもはん人は、いかでかわが聖人の御意にはあひかなひがたし。
(御文章三帖目九通)
と記されています。
報恩講法要は一年で一番大切なお勤めです。ご門徒のみなさんが一人でも多く、また日頃お参りされない方もお出かけくださると本当に嬉しく思います。
しかしここには、「親鸞聖人の御命日にお参りする方は少なくありません。報恩講にお参りして、人が多く集まり、本堂が満堂になる事が真宗で最も大事なこと(真宗の肝要)であると思っている人は、親鸞聖人のお心に叶っていないのです」と示されています。
引続き御文章には
すみやかに本願真実の他力信心をとりて、わが身の今度の報土往生を決定せしめんこそ、まことに聖人報恩謝徳の懇志にあひかなふべけれ。また自身の極楽往生の一途も治定しをはりぬべき道理なり。
「他力の信心を得て浄土の往生を決定することこそ、親鸞聖人の ご恩に対するなによりの報謝となるのであります」と示されています。蓮如上人はこの真宗の肝要を何度も何度もお示しくださいました。
この御文章はご門徒に宛てられたものですが、実は僧侶に対しての厳しい御催促ではないかと思います。袈裟を掛けて念仏しているけれども、真宗の肝要を身に受けて仏恩報謝しているのか、という声が聞こえてくるようです。
わろき迷心をひるがへして、たちまちに本願一実の他力信心にもとづかんひとは、真実に聖人の御意にあひかなふべし
迷いのわが心を翻して阿弥陀さまの本願こそがこの私が救われる真実であり、他力の信心の身になることこそが親鸞聖人の御心にかなうものとなる、と示されました。
真宗の肝要を僧俗ともに充分にお味わいさせていただきましょう。