無明の闇を破する

事前の盛りあがりに欠けた感のある関西万博が先日開幕しました。前回、1970年に大阪で開かれた万博は日本の高度成長期でもあり「世界」を意識して日本中がその万博一色でした。「太陽の塔」や「月の石」といった話題豊かな中で多くの人々が目を輝かせていました。
当時、小学生であった私もその機会を得て首からカメラをさげて会場を歩きまわった記憶があります。その中で日本館に展示されていた「リニアモーターカー」の模型に目を奪われました。20分の1の模型が実際に走っていて、「もうすぐこんな列車に乗れるんだ」とワクワクとした思いになりました。
このリニアモーターカーはその後、55年経過しても実現していません。この工事の実に8割以上がトンネル工事です。居住地であっても地下深くは所有権が存在しないという大深度地下法という法律に基づいて地下深くを掘り進める計画でした。
しかし、様々な問題が噴出して世紀を跨ぐ国家事業も晴れの日をいつ迎えられるのか定まっていません。
さて、トンネルは本来、道のないところに最短の道を通すのですから、画期的なものです。しかし、トンネルを好む人は少ないのではないでしょうか。それはその暗さと眺望の無さゆえでしょう。唯一の希望はこの先にある出口です。暗さからの脱出です。私たちは闇の恐怖と日々戦っています。頼りにしていた事柄を失うと一気に闇の中に放り出されたように感じてしまいます。
親鸞聖人は『教行信証』総序に
無碍の光明は無明の闇を破する恵日なり
と、お示しくださいました。(何ものにもさまたげられることのない阿弥陀仏のひかり(光明)は、真実の智慧がない人間の闇を破る太陽である)
私たち心の奥底にある闇は深いのです。しかし、人間の闇がどれほど深いものであろうとも、朝の光が夜の深い暗闇を打ち破るように、真実の智慧は人の心の闇を破り去って、闇なる問題を真に明らかにする大いなるはたらきとしてあるのです。
トンネルの中に灯された電灯はどんなに明るく輝いても、本当の光ではないのです。娑婆世界を生きる私たちは明かりの本質を知らなければなりません。