磁石の譬え

 埼玉には国際試合を行う大きなサッカースタジアムがあります。
 以前、そのスタジアムの近くを通りかかったことがありますが、これから行われる熱戦に多くの人が長い列を作って歩いていました。まるで、何かに吸い寄せられていくようで、門外漢の私には不思議な光景に映りました。
 さて、親鸞聖人は『教行信証』行巻の中に多くの譬えを引いてくださっております。その中に「なお磁石のごとし、本願の因を吸ふがゆえに」と磁石のはたらきを譬えにされました。
 磁石の特性は鉄を引きつけることにあります。子供のころに、磁力や磁場のことはわかりませんでしたが、鉄釘がみごとに連なって引きつけられていたことは楽しくもありとても不思議でもありました。
 親鸞聖人は本願によって迷いの中にある凡夫が引きつけられるようであるとこの譬えを示されました。仏さまのおこころに反して生きる凡夫が阿弥陀さまの本願のお力によって念仏申す身となり、仏さまより示されたおこころを真実と受け入れて、さらに仏法を聞くことを楽しむようになることは誠に不思議であり、磁石の力で磁石のように変わった鉄釘のようだと感じられたのです。
 もともとは『華厳経』にある譬えでこのままでは救われることのないものを救おうとされる大悲のおこころから発せられているのです。
 しかし、磁石のようになった鉄釘ですが、本当の磁石になったわけではありません。磁石から離されれば元の鉄釘に戻ってしまいます。私たちが自らの都合によって阿弥陀さまのおこころから離れてしまうことも同様でしょう。
 けれども、阿弥陀さまは摂取不捨のおはたらきをもって、本願の磁石で引きつけた行者を決して見放すことがない、とお示しくださっています。

光明は、あまねく十方世界を照らし、念仏の衆生を摂取して捨てたまはず。『観無量寿経』

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