吉祥天と黒闇天
今年も全国各地で節分会の豆まきが行われました。
元々、一年の節目である立春の前日を節分として中国で行われていた豆まきを日本でも同じように行うようになりました。
災い少なく福多からんと願うのはいつの時代の人であっても同じでしょう。
後年、宮中では行われなくなり、神社やお寺で庶民のための行事として広く行われるようになりました。ですから、宗教的な教義に端を発しているわけではなかったのですが、日本人には大変馴染みがよかったようです。
最近、話題の恵方巻きも一地方で行われていた風習で、福を巻き込み、方角の吉凶を選んで無病息災を願うというものであったのです。しかし、そのご利益よりもどれだけ廃棄されて無駄になったかが社会問題化しているのですから、商業戦略のターゲットにされている感は否めません。
さて、『涅槃経』に出てくる吉祥天と黒闇天の譬え話しをご紹介します。
ある家に見知らぬ女が訪ねてきました。器量のよい美人で「私は吉祥天というものです。私は行く先々に財宝を与えるのです」と話しました。まさに福の神です。これを聞いた主人は「さあどうぞお入りください」と招き入れ接待をしました。
しばらくしてみすぼらしい身なりの女が尋ねてきました。女を見た主人は「あなたは誰か」と迷惑そうに尋ねました。女は「私は黒闇天と言うものです。私が訪れると、その家の財産はみななくなってしまいます」と答えた。今度は貧乏神です。これを聞いて主人は「すぐに出ていけ」と怒鳴りつけました。
すると女は「先ほどの者は私の姉です。姉も一緒にここを立ち去ることになりますよ」と穏やかな口調で告げました。
考えた主人は姉も妹も追い出してしまいました。
この後、彼女たちはある貧しい家に招き入れられました。その家の主人は「私は吉祥天さまにいつ会えるかと待ち望んでいました。もちろん黒闇天さまも一緒に受け入れます」といって、快く招き入れた、とあります。
自分だけ福だけを招くことはできないのです。
浄土真宗で豆まきをしないのは、宗教行事でないこともありますが、悪なる自分(鬼)を私自身が追い出すことができないからなのではないでしょうか。