三十年に思う
平成の時代があと少しで終わろうとしています。過ぎてみるとその時代が長くも短くも感じる不思議さがあります。
平成がスタートした年に教念寺の歩みが始まりました。門徒はひとりもいません。何も無かったことを「虚しい」と感じなかったのは若かったからなのでしょうか。
やがて、有難いことに少しづつ訪ねて来られる方が増えてきました。「なんまんだぶ」「お西さん」「下がり藤」これらは来られた方々のキーワードです。「わたしの家は代々、お西さんなんです」とか「ここは、なんまんだぶのお寺ですか」などそれぞれに深く味わいのある方々ばかりでした。そして共通して「この辺りには浄土真宗のお寺がなかったんです」と話されました。
郷里でのお寺とのつながりや先代たちが忙しくても聴聞し、お寺を大切にしてきたことを聞かせていただきました。そして「ここにお寺があってくれて良かった」とよろこんでくださいました。
ご法義どころの鹿児島や富山の方からは仏さまのありがたさがにじみ出ているようでした。
ある時、広島県人会の方々に「あなたの近くに浄土真宗のお寺ができました。どうぞ、お参りください」というご案内を出しました。反響は何もありませんでした。
それから、二年近く経って、あるご夫婦が訪ねて来られました。以前、お便りをいただきました、と私が差上げた案内を手にされていました。驚きと感動の出来事でした。
教念寺では年に数回、仏具の大掃除である「おみがき」を行っています。それほど汚れていないように見えますが、終わってみると驚くような輝きになります。この輝きは多くの先輩たちが保ってきたものでもあります。お浄土に還られた方々が大切にされたものを、今の私たちも大切にすることができる場所がお寺です。
そして、南無阿弥陀仏のお念仏をともによろこぶ者が同行です。その、多くのお同行に支えられてきたのが教念寺三十年の歩みです。
さあ、これからの令和時代も一層にお念仏申して参りましょう。