誓願不思議のなかで
人との出会いがあることは、別れがあることでもあります。私たちの日常では辛いですが「死」をもって別れていくことは避けることができません。中でも今生で共に人生を過ごした伴侶の死は受けとめ難いことでしょう。
先日、ある方のお葬儀がありました。出棺の準備が進み最後に司会の方が喪主さんに「ひとこと声をかけてあげてください」と促しました。涙ながらの声ははっきりとは聞こえませんでしたが、感謝の言葉であったのだと思います。
さて、親鸞聖人は最晩年を京都でお過ごしになられました。奥様の恵信尼さまは越後(今の新潟県)にお住まいでしたから夫婦で別々に暮らしていました。これは、恵信尼さまが実家の諸領地を管理しなければならないことに加えて小黒女房という娘さんがお亡くなりになってその子供たちの面倒をみなければならなかった、という事情がありました。
親鸞聖人が90歳を一期にご往生されたときも恵信尼さまはお側にはおられませんでした。ですから、最後のお姿を看取ることも声をかけることも叶いませんでした。では、もしお側においでになって最後に何か声をかけられることであったら何と仰ったのか。想像のことにて大変失礼ですがきっと「南無阿弥陀仏」とお念仏されたのではないでしょうか。「いよいよ、お念仏の世界にお生まれになられるのですね」というお気持ちです。
そこには親鸞聖人が日頃よろこばれていた「誓願不思議」のおこころが込められていたことでしょう。
歎異抄第一条に「弥陀の誓願不思議にたすけられまひらせて、往生をばとぐるなりと信じて、念仏まふさんとおもひたつこころのおこるとき、すなはち、摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり」(すべてのいのちあるものを救うという阿弥陀さまの不思議な誓願によって、必ず浄土に生まれさせてくださると信じて、念仏を称えようという心がおこるとき、ただちに阿弥陀さまは、その光明の中におさめとり、決して見捨てはしないと、いだきとってくださいます)