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薬師と阿弥陀

 日本に仏教が伝来してからしばらくして、七世紀末以降に多くの信仰を集めたのが薬師如来でした。無明の病を直す法薬を与える医薬の仏です。左手に薬壺を持ち、壷の中には、からだの病も、こころの病も、すべての病を治すことのできる霊薬が入っているといわれます。
 薬師如来が菩薩修行において立てた十二の大願が世の人びとへ現世利益信仰として広がっていきました。
 戦乱の世の中ではない今日では死を畏れるものの筆頭が「病」です。これは昔の人びとでも同じでしょう。ですから、「どうぞ、病気を治してください」「どうぞ、病気にならないでください」と祈る気持ちは切実なものです。
 では、私自身病気にならなかったらどうなるか、病気が治ったらどうするのかを考えてみましょう。
 ならなければ、なった気持ちはわからないままです。元気が当たり前と思い続けるでしょう。病気が治ったら、より一層元気で過ごそうと思うでしょう。いずれも、元気の対極にある病気としか思うことが出来ないのではないでしょうか。
 遺教経に、「良医の病を知って薬を説くが如し」とあります。
 釈尊は、名医が病気に相応しい薬を与えるのと同じように、衆生の心の病に応じて相応しいご説法をなさいました。これを応病与薬といいます。
 この場合の薬は仏法です。目の前の痛みから解放されさえすれば良いというのでは仏法に耳を傾けることはできないでしょう。
 歴史の変遷では薬師如来の現世利益信仰から浄土往生を願ずる阿弥陀如来の信仰が盛んになっていきました。娑婆世界から浄土往生を念ずる信仰です。
 「なごりおしくおもえども、娑婆の縁つきて、ちからなくしておわるときに、かの土へはまいるべきなり」(歎異抄 第九条)
 往くべきところをしっかり聞いてゆくのが、この娑婆世界に生まれたということなのです。
 私の良医は阿弥陀如来であったことを忘れてはいけません。

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