「個」を考えよう
一日も早い終息が待たれる新型コロナウイルス感染症ですが、拡大は度を増している感があります。
お寺の法座が数か月に渡って休座になったことがありませんので、戸惑いの日々でもあります。
さて、昭和時代には高度経済成長を目指し、大量生産・大量消費の風潮の中にありました。それが、平成時代になるとだんだんに経済の伸び率が鈍化して、社会での考えが変化していきました。「個」の尊重も一般的に進みました。ひとつことを大勢で行うことの拒絶の風潮です。外国で行われるサッカーの試合に群参するのも、結果的に「個」の集まりが大勢いる、という具合です。
今般、「密閉」「密集」「密接」の三つの「密」を避けて生活する「三密」が呼びかけられています。
本来「三密」は仏教用語で「密教では、身(しん)・口(く)・意(い)の三業(さんごう)。手に印を結ぶ身密、口に真言を唱える口密(くみつ)、心に本尊を観念する意密」の意味です。
さて、日常の中で「個」中心で生活ができるのは、自分の考えでいつでも「密」なる行動ができると考えていましたが、多くの方々の中でこそ、私という「個」が存在することを置き忘れてしまったのかもしれません。
仏法において、蓮如上人は
能く能く談合すべきの由、仰せられ候う。
『蓮如上人御一代記聞書』
「談合(だんごう)」というと入札前の取引のように感じますが、本来は「話し合い、相談する」という意味で、「寄合(よりあい)」「談合」をお勧めくださった言葉が多くあります。
蓮如上人は、仏法を聴聞するお同行に時に自分の考えの間違いを廃するために、徹底的に議論することを重視していたのです。
親鸞聖人によって明らかにされた浄土真宗の教えをより多くの人々に広く布教し、生活の中で信仰を確かめていく基盤として、「講(こう)」や「寄合(よりあい)」と呼ばれる集まりにおいて話し合い議論することを特に勧められたのが蓮如上人でした。
ゆっくり人に会って話すことの出来ない今だからこそ、その意味を考えたいと思います。