蓮如上人御一代記聞書 28
「ちかきはとおき道理」
何かを身につけようとしたら、その技に習熟した人に近づくのが近道だね。習字だってピアノだって、いい先生について学ぶのが一番近道だよ。
仏法に関しても同じこと。蓮如上人は「善知識(仏法を教えてくれる先生や友人)に近づけ」とおっしゃってる。でも反対に「ちかきはとおき道理」として、次のような話もしてくださってるよ。
灯台もとくらしとて、仏法を不断聴聞申す身は、御用を厚かうぶりて、いつものことと思い法義におろそかなり。
上人は、「ことわざに「灯台もとくらし」とあるように、仏法をいつでも聴聞できると、そのおかげをありふれたことのように思い、仏法を粗略にしやすい」とおっしゃってる。
人間として生まれて仏法に出あえるというのは、実は大変なことなんだ。みんなの学校のクラスのお友達を考えてみて。阿弥陀様を知ってる人、念仏の意味を知っている人、どのくらいいるだろう。ほとんどいないよね。こうしてお育てを受けて教えをいただく身になるというのは、一万人に1人とか十万人に1人とか、そんな人たちだけなんだ。ましてやすべての生き物たち、猫や犬も含めて考えると、僕たちはものすごく少ない確率の中、あい難い仏法に出あっているってわかるよね。
みんなが人間に生まれ、こうして仏法に出あえたその裏側には、阿弥陀様のはたらきがあったんだ。なんとかして私の願いを聞いてほしい、すべての人たちを救いたいっていう阿弥陀様の心が、僕たちを人間に生まれさせ、仏法を聞かせようとはたらいてくださっているの。それを当たり前の事、ありふれた事のように思っていたら、恥ずかしいことだし、もったいないことだよね。
僕たちの本性は、恩を知ってもそれを恩と感じることなんてできず、むしろ鬱陶しく感じる心しかないかもしれない。でも、それでもかまわずどうか聞いてくれと涙を流して叫んでいる阿弥陀様がいらっしゃるんだ。みんな一人ひとりにかけられた慈悲深いそのお心を、しっかり聞かせてもらおうよ。