蓮如上人御一代記聞書29
「めづらしく初めたるやうに」
学校の授業で先生が前回と同じ話を始めたら、みんなはどうするかな?きっと「先生その話聞きました~」って言うだろうね。授業はそれでいいけれど、仏法の話、法話の場合はちょっと違うよ。蓮如上人はこうおっしゃった。
ひとつことを聞きて、いつもめづらしく初めたるやうに、信のうへにはあるべきなり。ただ珍しきことをききたく思ふなり。
ひとつことっていうのは、同じことということ。同じみ教えを何回聴聞しても、いつも目新しくはじめて耳にするかのように思うべきだってね。
法話で同じ話を聞くことあるよね。そんな時、顔には出さないけど「それはもう知っている」「ほかの話を聞かせてほしい」って気持ちになっちゃうね。でも、その話のこと、本当に知っているのかな。心の中に問い直してみてほしいんだ。
もともと法話は、授業や講演会なんかとは違うものなの。いろいろな話があっても話したいことは同じで、阿弥陀様が私のために願いをかけてくれていることと、その阿弥陀様にお任せして念仏称えてほしいということ。それだけを聞いてほしくて繰り返しお話しているんだ。
でも僕たちの頭はそんなにやわらかくできてない。固く凝り固まってるから、一回や二回聞いたくらいじゃ簡単にわかってくれないよ。だって、善人も悪人もすべての人々を救うっていうとてつもない話なんだから、簡単には信じられないよね。だから繰り返し、繰り返しお話を聞かなきゃいけないんだ。
こうして僕たちが仏法に出あうまでには、大きな大きな阿弥陀様のはたらきがあったんだ。そう考えると、今同じ話を耳にするのも、僕たちが深くわかっていないから、このこと一つをしっかり聞いてくれという阿弥陀様の願いに思えるね。
法話の向こう側には阿弥陀様がおられて、法話をする人の口をかりてその願いが届けられているんだ。同じことでも初めて聞くように、大切に大切に聞かせてもらおうね。