蓮如上人御一代記聞書30
「冥見をおそろしく存ずべき」
僕たちは、いろんなことを気にして生きているけど、中でも気になるのが人の目だね。こんなことを言ったらみんなどう思うかな、こんなことをしたら笑われるんじゃないかなって、周りの人の目が気になってしょうがない。
でも蓮如上人は、もっと気にするべきことがあるって教えてくれたよ。
同行同侶の目をはぢて冥慮(みょうりょ)をおそれず。ただ冥見(みょうけん)をおそろしく存ずべきことなり。
同行同侶というのは、ともに念仏する仲間のこと。その仲間の目を気にして、冥慮、つまり目に見えない仏さまの心をおそれないのは愚かなことだとおっしゃってる。
冥慮、冥見の「冥(みょう)」の字は、「くらい」という意味で、よく見えないという意味だよ。夕方、日が落ちてくると今まで見えていたものがよく見えなくなってくるよね。この状態が冥なわけ。
僕たちにはよく見えていないけど、僕たちを気にかけてくれている仏さまの心があり、いつも見守ってくれている仏さまの目がある。その心を冥慮、その目を冥見といって、それこそ僕たちが気にしなきゃいけない、おそれ多く思わなきゃいけないことなんだ。
冥という字がつく言葉にもうひとつ、「冥加(みょうが)」っていうのがあるよ。これは、みえないところから僕たちに加えられる、与えられることがらのこと。日々の食事や家や衣服、空気や水だって、普段気にもしていないけどすべて与えられたものだね。それらひとつひとつは、仏さまが見えない世界から僕たちにくださっているもの。尊いお恵みなんだよ。
「見えないところから見られている」というと、監視されているように思う人もいるかもしれないけど、仏さまの目はそんな冷たい目じゃない。いつも僕たちを心配して、気にかけてくださっている。地獄行きとしかいいようのない僕たちの行いを、ヒヤヒヤしながらご覧になって、ついにはお命を投げ出して僕たち一人ひとりに尽くしてくれているんだ。
そうは知っても、僕たちには何もおかえしすることはできない。せめて南無阿弥陀仏と仏さまのお名前を呼ばせてもらおうね。