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蓮如上人御一代記聞書37
「若きときたしなめ」

お寺にお参りする人たちというと、おじいさんやおばあさん、年をとった人たちをイメージするよね。でも、御一代記聞書には、仏法者、つまり仏法に深く帰依した人の話としてこんなことばが記されているよ。

わかきとき仏法はたしなめと候ふ。としよれば行歩もかなはず、ねぶたくもあるなり。ただわかきときたしなめと候ふ。

「仏法は、若いうちに心がけて聞きなさい。年を取ると、歩いて法座に行くことも思い通りにならず、法話を聞いていても眠くなってしまうものだ。だから、若いうちに心がけて聞きなさい」とね。
今、日本の人口は1億2577万人。年間138万人の人が亡くなっていて、この中には、10代、20代の若い人ももちろん入っている。死んでいくのは年をとった順とは決まってないのに、なぜか心の中では「自分はまだ先」と思っているよね。だから日々の生活が優先されてお寺や法座は後回し、「いつか時間ができたら聞けばいい」と思ってる。でもこれ、大きな間違いなんだよ。
あるお同行のお孫さん、まだ4~5歳の女の子がお寺の門前で手を合わせていたんだって。それを見かけた別のお同行が、「えらいもんだな、人間いつ死ぬかわからないもんな」とつぶやくと、それを聞いた女の子、「じいちゃんは、今日死ぬと言っていた。今日死ぬと思って手を合わせてるんだ」とこたえたそうだよ。
「いつ死ぬかわからない」と「今日死ぬ」。似たようなことばだけど、意味合いは全然違う。死というものを、自分のこととしてとらえてるかどうかが違うんだ。だから法座では、「脱いだ草履をもうはけないと思って聞きなさい」と教えられるんだよ。
今日死んでいく自分なのに、それを忘れてのほほんと暮らしている僕たち。その姿をあわれに思って立ち上がられたのが阿弥陀様なんだ。早く気づいてくれよ、どうか私のことばに耳を傾けてくれよと、僕たちのことを願い続けてくれてるんだよ。
大切なお話しだから、急いで聞かせてもらおうね。

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