蓮如上人御一代記聞書44
「五濁悪世のわれら」
ある日蓮如上人は、親鸞聖人の御和讃をあげられて法話をされたよ。
五濁悪世のわれらこそ
金剛の信心ばかりにて
ながく生死をすてはてて
自然の浄土にいたるなれ
五濁悪世とは、さまざまな濁りをもったこの世のこと。金剛の信心とは、阿弥陀様からいただいた信心のこと。生死とは生き死にを繰り返す迷いの世のことで、自然の浄土というのは阿弥陀様の浄土のことだね。つまりこの和讃では、「さまざまな濁りに満ちた悪世に生きるわたくしたちこそ、阿弥陀様にいただいた決して壊れることのない他力の信心ただ一つで、永久に迷いの世界を捨てて、阿弥陀仏の浄土に往生するのだ」と説かれているわけさ。
五濁悪世と簡単に言うけれど、この世の中を濁っているなあと思うことはある?こうして法話を聞いていると少し思うことはあっても、普段生活していてそんなこと思いはしないよね。それは、僕たち自身もその濁りに同化して濁りきっているからだよ。水が濁っているなと思えるのは、澄んだ水を知っているからだね。初めからずっと濁った水の中にいたら、それであたりまえ、濁っているなんて思えないんだ。
濁りきった僕たちは、どんな方法でも仏になることはできない。生まれ変わり死に変わり、六道の中を迷いに迷っていくしかないんだけど、そんな私の姿を一目ご覧になった方がいらっしゃる。それが阿弥陀様なんだ。阿弥陀様は涙を流されて「なんとかして救ってやりたい」と立ち上がられ、僕たちに不思議の名号と他力の信心を与えてくださった。その信心ひとつで、この濁りきった迷いの世界を捨てさせてもらい、私のために仕上げてくださった浄土に往生させてもらうわけ。
読めば読むほど、浄土真宗のみ教えを実に端的に示された御和讃だね。この御和讃を、蓮如上人は「何とまあ、うれしく喜ばしいことではないか」と、繰り返し繰り返しおっしゃったそうだよ。僕たちも、繰り返し繰り返し味あわせてもらおうよ。