蓮如上人御一代記聞書45
「仏に成ること」
あるときお弟子さんが蓮如上人にたずねられたよ。「すでにお救いいただいた、ありがたいことだと念仏するのがよいのでしょうか、それとも、間違いなくお救いいただく、ありがたいことだとお念仏するのがよいのでしょうか」
「もうお救いいただいた」と受け取るのか、「これから先、お救いいただく」と受け取るのか。みんなはどっちが正しいと思う?
蓮如上人は、「どちらもよい」と答えられたよ。そして、こうおっしゃった。
正定聚のかたは御たすけありたるとよろこぶこころ、滅度のさとりのかたは御たすけあらうずることのありがたさよと申すこころなり
正定聚というのは、必ずさとりを開いて仏になることが決定している人々のあつまりで、信心の行者のこと。正定聚に入れれば間違いなく仏になれるのだから、「お救いいただいた」という受けとめになる。
滅度のさとりというのは、迷いを超えたさとりの境地のこと。今はまだ無理だけど、浄土にいたって必ずさとりをひらけるということで、「お救いいただく」という受け取りになるよ。そして続けてこうおっしゃった。
いづれも仏に成ることをよろこぶこころ、よし
どちらの心も最終的に仏に成ることをよろこぶ心なのだからよいのだよ、ということだね。
仏法を聞いていると、信心や浄土往生が目的のように思ってしまいがちで、それも決して間違いではないけれど、もっと先があるんだ。そう、それが仏に成るということ。仏に成るための教えが仏教で、この煩悩具足の私が、苦しみと迷いの人生を離れて仏に成ることの大切さを教えてくださっているよ。
本来なら、自分で修行をして煩悩を断じ尽くし仏に成らなければならないのに、阿弥陀様のひとりばたらきで、私は何もせずに仏に成らせていただく。こんなありがたい教えはほかにはないよ。私にかけられた阿弥陀様のお心を、しっかり聞かせてもらおうね。