蓮如上人御一代記聞書47
「月かげのいたらぬさと」
ある時、蓮如上人は朝のおつとめで読まれた、
尽十方の無礙光は
無明のやみをてらしつつ
一念歓喜するひとを
かならず滅度にいたらしむ
という親鸞聖人のご和讃について、法話をされたよ。
尽十方の無碍光とは、阿弥陀様の何ものにも妨げられない光のこと。無明のやみとは僕たちの心の闇で、その闇を阿弥陀様の光が照らし出してくださる。でもそれだけでなく、「一念歓喜するひと」つまり信心いただき喜ぶ人を滅度のさとり、阿弥陀仏のさとりの世界に連れて行ってくださるというご和讃さ。
阿弥陀様の光は、僕たちのことを、一人残らずいつも照らしてくださっている。そして、「我が本願は間違いないぞ、私にまかせろよ」と常に願い続けてくれているんだ。でも多くの人たちはそのことを知りもしないし、知らされた僕たちだって、ほとんど忘れて暮らしているよね。ほんとにもったいないことだよ。
蓮如上人は「月かげのいたらぬさとはなけれども ながむるひとのこころにぞすむ」という法然聖人の歌をひかれてご法話されたよ。
月の光は、すべての人里を照らしている。つまり、すべての人に同じように届いているわけ。でも、その月を眺めることがなければ、月はないのと同じことだね。そして月を見るならば、見る人の心の中で、確かに月があることがはっきりとわかるんだ。
阿弥陀様の光も同じこと。気づかず知らん顔していたら、その人には阿弥陀様の光は届いているのだけどないのと同じことになる。その光に目を向け手を合わせて念仏となえるなら、阿弥陀様のはたらきが感じられて、ありがたいことだという気持ちがわいてくるんだよ。
僕たち凡夫は恩知らずだし忘れっぽいけれど、いつも願いをかけてくれている阿弥陀様なんだから、せめて折に触れ思い出すように努力していこう。まずは、お月様を見たら阿弥陀様のことを思い出させてもらおうね。