蓮如上人御一代記聞書51
「往生は一人のしのぎ」
お寺の法話では、最近のできごとや話題になっていること、法語や教訓などいろんなことが話されるよね。でも、お話を聞いて面白かった、ありがたかったで終わってしまってたら、もったいないことだよ。法話は聞くべきことをきちんと聞かないといけない。蓮如上人の孫の円如様が次のようにおっしゃってるよ。
往生は一人のしのぎなり。一人一人仏法を信じて後生をたすかることなり。
しのぎとは、 問題を解決して事を成し遂げること、成就することをいうよ。「往生は一人一人が解決し、成就することがらである。一人一人が仏法を信じてこのたび浄土に往生させていただくのだよ」とおっしゃってるんだ。
僕たちが法話で聞かなきゃいけないのは、自分自身の後生のことなんだ。後生とは、来生・来世のことで、この世の生が終わった後に来るべき生涯のこと。仏法では、自分の行いや思い、口に出したことが業として残り、この業が自分の後生を決めていくと説かれるよ。
自分の今の生活を見つめてみると、朝から晩まで「食事」と称して生き物の命をうばい、嘘をつき、悪口を言い、心の中では人を憎み、さげすみ、人の持ち物をうらやましがり、少しの善を行ったとしても長続きせず、そのくせ人によく思われたいと名声を求めて生きている。その一つ一つが業として残っているのだから、後生は真っ暗といわなきゃいけないよ。
昔からいわれることばに「火の車 作る大工はおらねども 己が作りて己が乗りゆく」とあるよ。地獄行きの火の車は、どこか遠くにあるんじゃなく、自分で作って自分が乗り込んでいるんだ。
その私の姿を見て、「かわいそうに、なんとかして助けてやりたい」と立ち上がられたのが阿弥陀様なんだよ。
「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり」と、親鸞聖人はおっしゃった。すべての人を救いたいと願われた阿弥陀様の誓いを、ほかの誰のためでもない、私一人のためだったんだといただくところに、自分一人の往生のしのぎがあるんだよ。