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蓮如上人御一代記聞書55
「今日ばかり」

 本願寺第三代ご門主の覚如上人の、こんな歌が残されているよ。

今日ばかり
 おもふこころを忘るなよ
 さなきはいとど のぞみおほきに

 「今日を限りの命だと思う心を忘れてはならないぞ。そうでないと、この世のことにますます欲が多くなるから」と、僕たちの命の無常を教えてくれている歌だよ。
 ある熱心なお同行の孫娘さん、まだ4〜5歳の女の子が、お寺の門前で手を合わせていたんだって。それを見た近所の人が、「立派なもんだ、若いとはいえ人間いつ死ぬかわからんもんな」と声をかけると、その女の子、「じいちゃんは今日死ぬと言ってた」と言って帰っていったんだって。声をかけた人はすっかり度肝を抜かれたそうだよ。
 「いつ死ぬかわからない」と「今日死ぬ」、似たようなことばだけど、全然違うよね。僕たちは「いつ死ぬかわからない」といいながら自分が死ぬなんて思いもせず、いつまでも生きているように思っている。死をずっと遠くにおいてながめているんだ。結局、死を忘れて、あれも欲しいこれも欲しいといいながら欲に引きずられて今日を生きている。
 でも「今日死ぬ」となると、これまで欲しいと思っていたものも、なんだか色あせて見えてくる。それはそうだよね、手にしたところですべて捨てて死んでいかなきゃいけないんだから。せっかくためてきた財産も、大切な家族も、自分自身の体さえも、死んだら何も持ってはいけないんだ。
 いや、たった一つ持っていかなきゃいけないものがある。それが欲のままに生きる中で積み重ねてきた悪業の数々。その悪業に引きづられて、むなしく地獄に落ちていかなきゃいけないんだ。
 無常の世の中を欲に引きづられてむなしく生きる僕たちを、かわいそうにと見ている方がいるよ。それが阿弥陀様。お前の人生をむなしく終わらせないぞ、どうか私をたよってくれよ、真実の道に目覚めてくれよと願い続けてくださっているんだよ。

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