蓮如上人の御生涯 1
「蓮如上人ってどんな人?」
これまで「蓮如上人御一代記聞書」を学んできたけれど、そもそも蓮如上人がどういう方だったのか、みんなは知っているかな。
お仏壇に手を合わせるとき、正面は阿弥陀様、向かって右側には親鸞聖人の御絵像がかけられているね。向かって左側にかけられているのが蓮如上人さ。お仏壇にかけられているくらいだから、それはそれはすごい方だったんだ。
蓮如上人は本願寺の第八代御門主。今の御門主は二十五代だから、随分昔の人になるね。時代は室町時代。親鸞聖人が亡くなってから150年後に生まれられた、直系のご子孫になるよ。
今でこそ大きく立派な本願寺だけど、その頃の本願寺は天台宗青蓮院傘下の末寺でしかなく、他宗や同じ浄土真宗の他派の勢いにおされ、「さびさびとしてお参りになる方もいない」というほどのさびしいお寺だったんだ。その本願寺を、一大教団に育て上げ、日本中に熱心な門信徒を排出するほどに大きくしたのが蓮如上人なの。多くの功績が後々までも語り継がれ、中興の祖とあがめられているよ。
では、教団を大きくするためにどんなことをされたんだろう。まずあげられるのが御文章による布教。浄土真宗のみ教えをお手紙として記されたもので、京都・大阪だけでなく、全国の門信徒たちに送られた。生涯をかけて三百通以上の御文章を記されたよ。
もう一つが、名号本尊の授与。南無阿弥陀仏や帰命尽十方無碍光如来といった名号を白紙に墨書し、門弟、信徒たちに授与されたよ。ほかにも、正信偈和讃を朝夕のおつとめとして制定されたこと、講や寄り合いというグループを作り、村ごとのまとまりで布教をされたことなど、多くの功績が伝わっているよ。
でも、そうして門信徒を増やしていくことは多くの敵を生むことになるし、比叡山などの旧仏教から迫害を受け、それこそ命がけの布教をされたんだよ。
浄土真宗がどうやってひろまったのか、そして今この私まで届けられるためにどんなご苦労があったのか、蓮如上人のご生涯をひもときながら学んでいこう。