蓮如上人の御生涯2
「蓮如上人御誕生」
蓮如上人は、応永22年(1415年)、京都東山、青蓮院のすぐ南にある大谷本願寺、現在の崇泰院(そうたいいん)付近でお生まれになったよ。
この場所は親鸞聖人の末娘である覚信尼様が、夫・小野宮禅念より譲り受けた土地を廟堂のための土地として提供し、関東の門弟の協力により遺骨を移して仏閣を建て、聖人の影像を安置した場所で、大谷廟堂跡と伝えられているよ。
さて、蓮如上人のお父様は、後の本願寺第七代存如上人で、この当時はまだ二十歳。門主職はまだ継がれていなかった。そんな若いお父様の長男として誕生されたんだ。
お母様は、存如上人のお母様につかえていた方。「我はこれ西国の者也」と言っていたそうなので、備後(広島)や豊後(大分)の人とも伝わっているけど、お名前も生国もよくわかっていないんだ。いずれにせよ、身分は低い方だったらしい。
本来なら、跡継ぎとなる長男誕生ということで大々的な祝福を受けるべきことだったけど、身分の違いから肩身の狭い思いをいだかれることになったよ。当時の社会では身分はとても大事で、互いに思い合っていたとしても、違う身分の人との結婚は簡単には許されなかったんだ。蓮如上人のお母様も正式な結婚は許されず、両親ともつらい思いをされただろうし、上人の将来にも暗い影がさすことになったんだ。
上人が誕生された室町時代は、農業その他の産業が発達し、商業や文化芸能も盛んになっていった時代。でも、南北朝の争いをはじめ相次ぐ内乱や大名同士の争いなど、各地で戦乱が絶えなかった。そのような中、民衆が徐々に力をつけてきて、多くの一揆も起こるなど、社会が大変革を起こすそんな激動の時代だったんだ。
上人の幼名は幸亭(こうてい)。でも丸々と太っていたので、布袋丸(ほていまる)と呼ばれてかわいがられたよ。これからの本願寺を担うことを期待され、大事に大事に育てられたんだ。