1. HOME
  2. 仏教コラム
  3. 蓮如上人の御生涯 6「ご結婚と部屋住みの生活」

蓮如上人の御生涯 6
「ご結婚と部屋住みの生活」

 まもなく蓮如上人は結婚されたよ。いつだったのか、たしかなことはわからないんだけど、おそらく1441年、蓮如上人27歳のころと思われるよ。奥様は伊勢氏の一人、平貞房の娘で如了という方だったんたんだ。
 伊勢氏は、将軍足利義満の時代から幕府の要職を歴任してきた家で、幕政に通じる家から妻を迎えたことは、後々の本願寺の興隆に大きな意味を持つことだったんだ。
 それでも部屋住みの蓮如上人は困窮の極みにあったよ。如了さまとの間には7人の子供があったけど、全員を手元で育てることができず、長男の順如様以外の子供たちは、南禅寺など禅寺の喝食(住職などの傍にいて世話をする係の子供)に出されたり、浄土宗の尼寺へあずけられたんだ。食事がとれない日もあって、一人分の汁を三人ですすりあったり、衣類も白小袖一枚しかなく、その小袖も袖口だけに絹をあて、紙子(和紙を材料とした着物)ばかりを着ていたそうだよ。当然、召使いもやとうことはできず、お産のときは子供のおしめを自ら洗い竿に干すなどされていたんだ。
 でも、困窮していたのは本願寺ばかりではないよ。当時は足利時代末期で治安が最も乱れた時。王侯貴族から一般庶民にいたるまで、毎度毎度食事を口にすることなんかできない時代だったの。
 「日本の土民蜂起のはじめ」といわれた正長の土一揆は、1428年、蓮如上人14歳の時の出来事で、凶作や疫病による借金苦に耐えかねた農民たちが金融業者を襲撃して「徳政」の発布を求める騒動が京都・奈良という幕府のひざ元で起きる。ほぼ十年後の1441年には、これも京都とその周辺に7〜8千人規模でやはり「徳政」を求める嘉吉の大一揆が起こり、これ以降各地で一揆が頻発しはじめるよ。幕府の権威は地に落ち、かわりに農民・土豪・地侍といったこれまで虐げられていた人たちが台頭して、下剋上の風潮が高まり拡大していったんだ。
 これら社会の混乱は、決して本願寺の再興と無縁ではなかったんだ。これからの社会で力を持つのは誰なのか、蓮如上人はやがて本願寺再興の力となっていく門徒農民や土豪の姿を見つめながら、飛躍の時を模索されていたんだよ。

関連記事