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蓮如上人の御生涯 9
「本願寺の変貌」

 蓮如上人が第8代留守職、本願寺門主となられると、本願寺のようすは大きく変貌するよ。上人は、本願寺の姿勢や体質を根本から見直されたんだ。
 本願寺は、天台宗青蓮院の末寺に位置づけられていたので、本堂には天台宗の本尊や経典があたりまえのように配置されていたんだ。蓮如上人はこれらを取り除き、風呂を炊く際に薪の代わりとして焼いてしまったんだって。親鸞聖人の「弥陀一仏」の浄土の教えに忠実であろうとしたんだね。
 また、それまで法主が座る場所を「御亭」という上段の間にしていたのだけど、これを撤去して平座にし、参詣の門信徒たちとへだてなくお会いになられたよ。仏法を広めるのに上品ぶっていては見教えを伝えることができない、膝を交えて語り合わなければ信心のとおる道がないと考えられたんだ。
 日々のおつとめも独自のものを考案されたよ。それまで善導大師が残された「往生礼讃」が読まれていたけど、親鸞聖人の主著「教行信証」の行巻末に記された「正信偈」に変更、さらに和讃を読むという、現在まで続く勤行を定められたんだ。蓮如上人は「正信偈」を真宗教義の要としてとても大事にされていて、門信徒の願いに応じて正信偈の解説書「正信偈大意」を記されているよ。
 そしてもうひとつ、最初の御文章が記されたのもこの時期なんだ。御文章は、み教えを簡潔に記した門信徒宛のお手紙で、蓮如上人が開発した伝道スタイルとして知られているね。数多く記されるのは後に吉崎御坊に移られてからなんだけど、ご門主となられて間もないこの時期に、すでにこの文書伝道のスタイルができつつあったんだね。
 遠方からはるばる参詣にみえた門信徒を取り次ぐのが遅れると、「長らく待たせてはいけません」と側近をきびしくたしなめ、寒い冬には酒の燗を熱くし、暑い夏には冷たくしてもてなしたそうだよ。門信徒とのつながりを何より大切にされていたんだね。
 だけど、これらの振る舞いが、旧教団である比叡山を大きく刺激することになり、さまざまな圧力がかけられることになっていく。命をも狙われる大法難につながっていったんだ。

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