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蓮如上人御一代記聞書6
「御たすけ候へとたのむなり」

 三河(愛知県)の教賢さんと、伊勢(三重県)の空賢さんが、ある時蓮如上人にこうたずねられたよ。「南無阿弥陀仏の心を教えてください」。
 蓮如上人は御文章の中でも、たびたび南無阿弥陀仏についてお説きくださっているね。信心獲得章には「この(第十八)願をこころうるといふは、南無阿弥陀仏のすがたをこころうるなり」とおっしゃってる。一体南無阿弥陀仏のすがたって何だろう、その心は何だろうと思い、二人は上人におたずねになったんだ。
これに対して上人はこうお答えになったよ。

南無といふは帰命、このこころは御たすけ候へとたのむなり。

 南無というのは帰命のことですよ。そして、その帰命の心というのは、「おたすけくださいませ」と如来を頼っておまかせすることなんですよと、やさしく教えてくださったんだ。
 でも、ここで僕たちが注意しなきゃいけないのは、帰命は「助けてください」とお願いすることや、自分の力でおまかせするぞって一生懸命まかせることじゃあないんだ。ではどういうことなんだろう。
 昔から、帰命には三つの意味があるといわれているよ。そのひとつは勅命、二つ目は信順、三つめは礼拝。上人がおっしゃってるのは、「信順」という心だね。阿弥陀様の願いを信じしたがうということ。でも信じる前に大切なのは「勅命」、つまり阿弥陀様の勅命を聞くということなんだ。
 阿弥陀様の勅命というのは、「どうか私を信じて我が名をとなえておくれ。必ずお前を救いとってみせるぞ」という、阿弥陀様の願いの心なの。ずっと昔から願い続けているのに、僕たちが知らん顔してるから、阿弥陀様は大声で叫ばれている。このままだと危ないぞ、また地獄へ落ちて迷い続けになってしまうぞと、大声で叫んでくれてるのがこの勅命だよ。ちょうど子供ががけっぷちをあるいていて、今にも海に落ちそうになってたら、「こっちに来なさい!」て叫ぶでしょ。それと同じ心で、僕たちに泣きながら命令してくださっているんだ。
 その心が届いたら、そうでしたか、すみませんでした、私が悪かったですと頭が下がる。これが信順ということで、そうなったら当然次の「礼拝」という行いもついてくる。だから大事なのは阿弥陀様の勅命を聞くということなんだよ。

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